児童ポルノ法の内容に不備があったとしても児童ポルノは廃絶されるべきだ
— 浅井秀和 内閣には憲法改正権はないさん (@hidekazuasai) 2013年6月6日
挑発的にこのツイートをしたら
二次元はいいでしょうという類の返信が多かったことに驚かされる
児童ポルノを愛好するロリコンなる変態は
まさにその二次元によって描かれた表現を
学習して
変態性欲が形成されたのである
こういうと
まるで正義の側にいて
権力の鉄槌をおろす
処刑人のように聞こえるだろう
と
多分、多くの日本人はそう思うであろう
だが
それは違う
ロリコンなる変態性欲によって
少女が不安にいつもさらされているのである
このことはレイシストの存在により
外国人、障害者が不安にさらされているのと似た構図である
また
児童ポルノは
思想、良心の自由といわれかたをよくするのだが
そもそもポルノは
思想か?
という疑問がある
多くのわいせつ的な表現で
反権力を標榜した時代はあったが
そもそもそれらは思想だったのか
というか
なんでもない女性のヌードをわいせつ
反権力という事自体があほらしいのである
単なる裸でしょう
仮に性器が公で発表されても
公共の福祉に反しない
というのは
それはあるものだから
だが
児童ポルノは
無抵抗な少女を男の卑猥な視線に
置くことがはじめから目的とされている
荒木経惟は児童ポルノではないが
その視線で「芸術」を行なっている限り
くだらないごみであり
人間の美しさを描くために
性行為を延々と描く
大島渚の「愛のコリーダ」は
すぐれて素晴らしい「芸術」である
児童ポルノはどうか
人間を
それも
男により無抵抗な少女が陵辱されるのを
賛美する
いわば
「ナチス」のような
「ファシズム」のような
まさに
まさに
反人権である
仮に
児童ポルノが思想、良心の自由であったとしても公共の福祉のために使用していないことは
明白である
そして
付言すれば
ロリコンは
同性愛と同じ性癖ではない
なぜなら同性愛は
本人同士の合意にもとづいて
自由恋愛が成就されるのであって
ロリコンの少女が
ロリコン男の変態性欲に合意するわけがない
「日本男性」の無知な性の考えにほとほと呆れる
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