2013年5月31日金曜日

食べてないつもりでも体重が増えている

今朝、体重を測ったら92キロ

92キロ?

92キロ?

なんで増えている?

昨日食べた食事をここに記す

朝 ゆで卵 チョコレート バナナ コーヒー

昼 そば

夜 サイゼリアで若鶏のチキン定食

僕自身

食べていないつもりだけど

文字にすると

食べている、ということがわかる

夜のサイゼリアの若鶏の定食が体重を増やした原因とみた

そうだ

喫茶店で食べたセット

ボロニア・ソーセージとコーヒーもある

食べているのか

文字にすると

自分が食べていないと感じていても

食べている、ことがわかる

ということは

岡田斗司夫のレコーディング・ダイエットに

理論的正当性があると思えてくる




アマゾンの内容詳細によると

「日々の食事と体重をメモするだけ。「レコーディング・ダイエット」という簡単かつ画期的な概念を生

み出し、自らも1年で55キロの減量に成功し、リバウンドもなく現在に至る著者が、その考え方と方

法について詳しく解説。大切なことは「太る努力をやめること」だった!ビジネスマンの自己管理にも

役立つメソッドが満載。」

ということである

う~む、読んでみようかなあ

ちなみに

ウイキペディアにもレコーディング・ダイエットのページはある

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%88


これによると

「しかし、2011年頃から徐々にリバウンド傾向が見られ、2012年現在ネット上などで確認出来る岡

田の容姿は、最も痩せていた時期に比べ明らかに肥えている。」

ダイエットの弁証法的帰結と呼ぶべきか

私はデブで貧乏。

デブで貧乏?

もっともだらしないタイプに思われるんだろうなあ



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2013年5月30日木曜日

副収入にも期待してはいけない

今月は

亡き父の法要のためにスーツを19800円もの大金をかけて

というかスーツにしては安いのだが

とにかく私の家計は財政が逼迫している

たのみのせどりも

最近は疲れてきて

出品数が減っているので売上も減っている

せどりをして副収入を得るのはいいが

所得税がかかる

私のような「貧乏人」に

年間61300円払えという

税務署の血も涙もない

「お言葉」

この体験からわかることは

日本でもっとも安逸な生活を送っているのは

公務員の上層部や大企業の上層部ではないか

自営業は儲けても

所得税でとられるだけ

とはいっても

僕は自営業というより

現在、勤務しているアルバイト(今月から常勤パート)の

雑収入で申告したから

高くなっているのであって

開業届けなどして

青色だか白色だか

すれば

もっと抑えられたかもしれないが

まあ、そうは変わらんだろう

せどりをしてわかったのは

急場の金がなくなったら

その金でくいつなぐということだった

まあ

稼いでいる人は

もっと稼いで

法人化などをしているでしょうが

副収入にも期待してはいけない



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2013年5月29日水曜日

どうしたら金を使わずにいられるのか

自炊は節約になるのか、という疑問を抱きつつも

昨日は

パスタが家に3袋もあったので

ゆでて食べた

1袋のうち

3分の2をゆでたので

全部食べきれず余った

余る、というのが問題で

もうひとりいれば

食べれば?ということにもなるが

そうはならない

だから今日の晩御飯は必然的に

この余ったパスタになる

パスタの味付けは

クレイジーソルト

パスタに

スープ替わりのワイン

今日は金を使いたくない

とはいいつつも

昼食食べに外食に

食後のコーヒー飲みに

スターバックスに行く

その時点で

約1000円使っている

使いすぎだよなあ

どうしたら金を使わずにいられるのか

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2013年5月28日火曜日

自炊は本当に節約になるのか

自炊は節約になると固く信じ

私は

日々、自炊してきた

ごはんを炊き

一口コンロで簡単な炒め物を作り

行ってきたが

結局、一人暮らしだと

材料が余ってしまうので

無駄が出る

材料の廃棄が増える

自炊で

節約できるのは

家庭菜園をしているような人々で

私のような

とても狭い借家では

外食、もしくは弁当でも買ってきたほうが

安上がりだとようやく気づいた

健康系の本、ネットを読むと

スーパーの弁当は添加物だらけ

とあるが

野菜がすでに農薬まみれで

肉にいたっては抗生ホルモンまみれ

養殖魚も薬つけ

自炊しようが外食しようが

からだには悪い

私は放射能まみれの食材すら食べるかもしれない

というか

もう知らず知らず

食べているだろう

原発には反対する私ではあるが

放射能まみれの食材は自分は食べる

だが

他人にはすすめない

江戸の大人相家

水野南北は麦を食べれば福相になると占い師に言われ

実践してみたところ

凶相でなくなった

そして自身の福を発展させる食事開運法を作ったが

他人にむりやり強制すると

凶になると書いている

だから放射能にまみれていない

もしくは無添加、無農薬の食材を

自然の食材を食べよう!と他人に強制してはいけない

ましてや添加物、放射能まみれの食材を強制は言語道断である

では

何がいいのか

自分にあった食事しかない


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2013年5月27日月曜日

アパレルは客を選んでいるのか

昨日書いた記事のPFSAだけに

限らず

アパレル産業は

というか

洋服を扱っている店は

客を明らかに選んでいる

なぜ、ユニクロやしまむらが流行るのか

それら両店舗は

内心はどう思っているか知らないが

多くのアパレル産業の店舗が戦略的に

アバクロが露骨にとっている

かっこいい男、きれいな女だけに

私たちブランドの服を着て欲しいという

無意識が店舗に並ぶ商品に表現されている

多くはS、M、Lだけで

XLなどは除外である

ユニクロ、しまむらはそんなことはなく

きちんとXLもある

ユニクロ、しまむらが

流行る原因は

賃金が減り続けて

私のような貧乏人が増えたからもあるが

誰でもいいから

買ってくれれば

金になるので

構わないという

あまりにも身も蓋もない

資本の論理である


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2013年5月26日日曜日

私もまた排除された

6月14日に亡き父の法要を迎えるにあたって

私はスーツを買いに勤めが終わってから

勤務先の近所にあるPFSAというスーツ屋を覗いた

PFSAとはParfect Suits FActoryの略である

PTSDに似ている

だが、私はここで軽いPTSDになった

ここのスーツはまさに

アバクロのサイズにXL以上がないように

ウエスト95センチ以上はないのである

私はウエストを最近、勤務先の健康診断で測ったら

106センチである

健康診断の結果表では

数字が赤いのである

危険ゾーンということか?

106センチの私は

95センチ以上のウエストがないことに

センチメンタルな気分になった

そして私が店内をうろうろしていると

忙しいのか

アパレル産業につきものの

こちらがお似合いですよ

という言葉をかけてくれる店員はいなかった

つまり

私の外見をみて

「除外」したのである

私は乙武氏の「銀座の屈辱」を思い出した

まあ

彼は予約客で

私は

いちげんさんだから

比較できないが

だが私は商品がないことによる「除外」で軽いPTSDにかかった

乙武氏の抗議はこと障害者だけにとどまらない普遍性を有するのは

私のようにその商品を置かないということからくる排除にも通ずる問題である

つまり乙武氏が提議した問題は

標準から外れたら

排除されるということである

そんなことをこのPFSAというスーツ屋から出て

都会の雑踏で考えていた

その後、私はダイエーで

スーツを買え、

さすがに「主婦ダイエーの店」となにやら感心し

ダイエットにつとめようと

夜はそうめんととんかつだけにした


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2013年5月25日土曜日

日本兵の飢餓で死ぬことを避けるのための人肉を食べることは国家による従軍慰安婦強制より罪が重いのか

私は、昨日書いた記事で

日本兵による飢餓で死ぬことを避けるための人肉を食べることは

国家による従軍慰安婦より罪が重いのか

と問いを発生させた

日本政府による従軍慰安婦は計画的な犯行であるが

戦争に強制的に駆り出された兵士による

飢餓で自分が死なないために死んだ同僚の肉体を食べることは

計画的な犯行ではない

彼ら日本兵はやむにやまれぬ人肉を食べたのではないか

そのことは激しく糾弾されるべきことなのか

そもそも

日本の首脳部は

日本の戦争遂行のための

物資は

敵地から

奪うことによって

計画化させていた

石原莞爾が夢見た満州とはそのような強盗の論理である

その実行犯が

安倍首相の祖父である岸と

昭和天皇により戦争の責任を押し付けられ

昭和天皇はそのことで自分を生きながらえさせたのだが

東条英機のアヘン販売による軍費調達である

このような当時の日本政府の

計画された

三光(殺し、奪い、焼き尽くす)

が必然的にもたらした

悲惨な事件が

日本兵による死んだ同僚を食べるという

事件である

このことは過去の出来事ではない

近未来にも起きることが予想される

今度、日本が戦争を行なった場合

兵士への完全な物資調達はなく

敵地からの略奪を

計画化するであろう

そして

また飢餓のため

死んだ同僚の人肉を食べることに

あなたも遭遇するかもしれない

従軍慰安婦で戦地で「イイ思い」をできたなどと言っていたときから

一転して飢餓である

私の父はそんな

悲惨な戦争末期に生まれ

いかに戦争がむごたらしいものであるかを

自分より上の世代から聞かされ

私も父から聞かされたのである

再度、問う

日本兵の飢餓で死ぬことを避けるのための人肉を食べることは国家による従軍慰安婦強制より罪

が重いのか

従軍慰安婦への補償がされない限り

飢餓に遭遇し死んで同僚により食料にされてしまった日本兵の

魂は浮かばれないと考える









2013年5月24日金曜日

死んだ人間を食べるのは罪なのか

火葬場で焼かれて骨だけになってしまった父を

思い出すと

輪廻などという「思想」が

火葬という「効率的な」死体処理方法により

保てなくなるのを

妹の旦那が運転する車に乗せられて

父の遺骨を抱いているときに

思いついた

むかしは

この地域は土葬だったのか

だが

現在は火葬である

先祖の霊が

前世が

と言われても

骨だけになってしまったのでは

説得力をもちえない

それとも

映画「復讐するべきは我にあり」の

ラストシーンのように

骨も意志があり

動くのだろうか

そんなことをつらつら思っていると

死んだ人間を自分の栄養補給のために

食べる、というのは

火葬に比べて

死者の魂を悼むには

はるかにすぐれているように思えてきた

死者を食し

故人の魂を共有するのである

ということは

自分も飢餓によって死んでしまうことを

防ぐために

死んだ同僚を食べた

日本兵は裁かれるのか

そして

その死者を食べるというスキャンダラスな行為は

従軍慰安婦より罪が重いのか

そんなことを考えている私は

世間から

悪魔と罵られるのだろうか


2013年5月23日木曜日

葬儀代について、再び

葬儀代について

ツイッターにて教えてくれた方がいる



なんと日本では231万円

英国に比べたら、約20倍

アメリカから比べたら約5倍

お隣韓国に比べても約7倍

231万円もの貨幣が私に貯まるのだろうか

一生かかって

葬儀代の231万たまったという人生なんだろうか

そもそも名ばかり喪主の私は

父の葬儀代すら払えないし

母親の死にも葬儀代を出せるだろうか

そのために節約であろうが

節約しようにも

実入りがそう多いわけではない

私が葬儀代を捻出するために

毎日インスタントラーメンを食べて

からだこわしてまで

葬儀代を貯めて

葬式を開けても

死の原因がインスタントラーメンの過剰摂取では

笑えない喜劇である

だが

日本の長時間労働で低賃金であえぐ労働者は

わたしのこの懸念から無縁ではいられまい



2013年5月22日水曜日

葬儀代について

名ばかり喪主の私は

父の葬儀にいくらかかったのか知らない

妹から葬儀にきていくワイシャツを買うお金すらない

貧乏人の「名ばかり喪主」は葬儀代を知ったところで

払えない、のである

日本に存在する相対的貧困者は

自分が死んだら

葬儀代を出せるのだろうか

私も似た境遇である

最貧国はどうしているのだろうか

インドに行った人の話を聞いたり、体験談を読むと

死体がガンジス河から流れてきて、死体が流れる河で

女性は洗濯し、人々は沐浴をし、料理に使う水、飲料水として桶にいれていたりする

そうである

そのボッシュの絵画のような世界については触れないが

というより

今までは

ボッシュの絵画のような世界について私はインドについて

そういうものか、と

妙に納得していたのである

今、自分の葬儀代を払えるか払えないか

そして父の葬儀代を払えないという

自分自身の現実に直面し

ガンジス河で流れる死体は

葬儀代を払えない「貧困層」であろう

ということが

ようやく見えてきた

日本も江戸時代

女郎屋で不慮の事故などで

亡くなった

女郎は捨てられたそうである

女郎の死体で積み上がり山になっていたとか?

私は女郎ではないが「山」の一部になってしまうのだろうか



2013年5月21日火曜日

初七日にて

葬儀と一緒に

初七日を行う

初七日?

それは何だ?

名ばかり喪主の私は知らない

スマートフォンやノートパソコンなどもっていないので

それは何?で葬儀から初七日に至る、そして書いている現在まで

調べていなかった

初七日法要とは
http://www.beardsleyfarm.com/sg-tokyo.html

これによると

「遺族は末席に座り、一人一人に酒などをすすめ、労をねぎらうのです。」

そうか

なんだ

そうだったのか

初七日の意味を理解できたので

私がテーブルの上にあるビールを飲もうとしたら

妹が「馬鹿か」と言ってきたので

私は内心

ここにあるから飲まんと損では?

と思っていたが

意味を知った今

妹の言葉は

正しい

であれば

おばの

あいさつのときに

「今日は不行き届きがあり…」という言葉の意味も理解できてくる

私はおばからその言葉をいわれ

内心「俺は名ばかり喪主だからなあ」と悲しんでいた

だが

「どこか不行き届きがありましたか」と訊いてみたら

初七日は家でやり

葬祭会館で行わないのが

ここの部落のしきたりだから

というようなことを言われて

内心ほっとしている

情けない名ばかり喪主の私がいる


2013年5月20日月曜日

骨になる

火葬室で焼かれること約1時間半

火葬室からでてきた亡き父は

こなごなになった骨だけになっていた

その骨を凝視する火葬場の作業員

みつけては

トレイに乗せ

みつけては

トレイに乗せ

その繰り返しである

その繰り返しを

彼は自分の糧を得るための

仕事として毎日行っている

私であればできるだろうか

亡き父が焼かれる合間

待合室で

叔父、叔母、母が

そういえば、むかしは土葬だったねえ、と会話を交わしている

土葬だったのか

叔父が

土葬はいかん、と市が言い出し

火葬になったんだよ、と土葬から火葬への経緯を説明する

なぜ、土葬はいかんのだろうか

ゆっくり朽ち果てていく死体から

腐臭が土から出てくるからだろうか

と想像できるが

確かなことは言えない

だが

土葬は

微生物や生物が

人間を食べ、分解していくので

まさに

人間が自然に還る儀式でないだろうか

葬式で読経をあげた

僧侶が法然の言葉で言った

ちなみに私の家系が浄土宗の檀家に属しているのもこの葬式で初めて知った

檀家一党はすべて同じ姓である

死ぬことは涅槃にいくから幸福だ、ということではないのか

そういう風には言ってないが

概ねそんな意味である

南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏







2013年5月19日日曜日

火葬場で火葬室に入れられる前

父の葬式を迎えるにあたり

葬祭会館は

まえもって焼香のやり方をスクリーン写し

教育してくれた

私の通夜での焼香をみていて

喪主が焼香のやり方を知らないのでは困る

とでも思ったのだろうか

スクリーンに写した焼香の方法の動機はなんであれ

私にとっては学んだのである

そのことはありがたい

ゆえに葬式の焼香は無事滞りできた

出棺になり

火葬場にいく

火葬場で働く人々は

毎日、死者にあっている

毎日、毎日…である

火葬場で働く人たちの機敏な作業は

家族を亡くした人たちにおいては

その態度しかないと思わさせられる

だらだらとした作業では

反感を買うであろう

亡き父が棺桶に入れられたまま

火葬室に入れられる

その前に

顔をみることができる

最後の顔である

私は無言で手を合わせていた

長くその場にいたので

妹の主人から肩を叩かれ

その場を離れ

次に続く妹にその場を譲った

家族、親戚らその場にいる全員がすべて

顔をみたので

火葬室にいれられ

火をつけるスイッチを火葬場の職員がつけるときに

私は涙が出た





2013年5月18日土曜日

朝から私は母親と妹をなじる

通夜で

会葬者を送ったあと

家族、親戚で一晩

亡き父の遺体が置かれた部屋でともに過ごすのだが

葬祭会館なので

事務所に泊まる管理人もいる

管理人曰く「毎日、事務所に泊まっている」

大変なことである

ということは毎日人が亡くなっている

どのような理由でか

様々な理由があるが

確実に言えることは

毎日人は死んでいるという事実である

父が亡くなった当日は

食したのは会葬者を送っていったあとで食したいなり寿司

よくそんなときに食事のことを考えられるものだな、とブログを読んでいる方は思っているでしょう

だが

人間、腹は減るのである

武士は食わねど高楊枝などと気取っている場合ではない

第一、武士ではない

人は腹が減る

厳然たる事実である

その事実を直視しない言葉など

嘘である

食した後、ねる

夜中、8時間かけて

かけつけてきた親戚もいる

夫婦の嫁さんのほうが

亡き父の兄弟であろう

ということは姉か?

顔が似ている

ということは私とも似ているのか

朝、その親戚とあいさつを交わし

またねる

そして目覚める

母は、お前は恥ずかしいやつだと詰ってくる

働いていない

となじるので、

私は感情的になり

「俺がうつで死にそうになっていても、16時間働かされ

それで会社を休んでいるときも

あんたはそうやって俺に働いていない

俺が死にそうになっていても

あんたは働いていない、働いていないと言ってきた

そんなことがあれば子供の心は親から離れるのも当然だ!」と母親を詰った

母親はお客さんが居る前で

というので

「知るか!そんなこと、だったら人を傷つけるこというな」と私は喚いた

妹が「お兄ちゃんの態度が私たちを傷つけている」とか言い出すので

私は腹がたち

床を蹴り、椅子をけった

母親は「お父さんが死んだからそんな態度に出るのか」という

そこで話は終わる

その後、葬式が終わっても妹は

お兄ちゃんはそこにいると邪魔だからとか

言葉に鈍感なことを言う

「邪魔だから」

妹も大企業に勤務すると

鈍感になるのだと思わさせられた

私の考えが

世間では間違いであろうが

そんなことは私にはどうでもいい

私には私の人生、意見、考えがある

それが世間と対立しようが

知ったことではない







2013年5月17日金曜日

通夜のとき焼香のやり方を知らず困った

通夜に入り

読経、木魚が叩かれ

焼香をするのだが

どうもやり方を間違えた

実は私は

頭の中で焼香をどうやってやるのか

気になっていた

そのことばかりで頭が煩悶していた

焼香を行う

亡き父に、礼をして

焼香をするのだが

礼をしたまま

次をどうすれば

わからない

そうしているあいだに

次の母が焼香にきて

母のやり方を盗み見て

行なった

先に立った私のほうが

次に来た母より

遅くその場を離れた

会葬者にお辞儀をしたのだが

会葬者は不思議に思ったのだろうか

通夜が終わり

会葬者の一人、檀家のなかのひとりですが

「お前、しっかりやらなあかんぞ」と叱咤され

その直後

この私の親不孝のために

父は亡くなったのかもしれない

と考えてきて

涙がでてきた

私が

父と折り合いがよく

実家から離れずに

地元企業で働き

たまには晩酌の相手をするような

親孝行の息子であれば

父は長生きしたかもしれない

ガンは心因性によるものが病因として

大きな位置をしめる

と以下の書籍を要約すると

そういうことになる


自分の親不孝によるものが原因であれば

自分が父親を短命にさせたようなものだ

実家から葬祭会館に行くまで

途中で

小さな頃

父に連れられて行った大きな川の土手をみつける

ここは

父に連れられてきた

小さな頃は

そのようないい思い出はあるが

中学生の頃

自分としては

「愛情」のつもりで

学校の技術工作の授業で作った父の顔を模した仮面を

父に「これ、お父さんだよ」

と笑顔で渡したら

直後「これが俺か、馬鹿にしているのか」と

殴られた記憶もあり

また、酒を飲みながら

私を怒り

母も詰り

という悪い思い出もある

「葛藤」はある

どこでも親子の「葛藤」はあり

その「葛藤」を乗り越えて

父子は「和解」するのであろう

そういえば

父が入院し

休日に見舞いに行ったら

もはや話すこともできず

点滴で生きながらえている

父に私は

自分の名を告げると

父は私に握手をもとめてきた

当然、私も握手をする

そのことが「和解」なのだろうか




2013年5月16日木曜日

葬式に着ていく衣装がなくてお金を妹に借りる悪い僕

私は、真夜中、父、危篤の連絡に

すぐ駆けつけることができない「親不孝」者である

すぐ駆けつけることができないのはそもそも交通費がないのである

タクシー代がない。

自家用車は所持していない。

入院している病院は私が住んでいる市から歩いてや

そっとで行ける距離ではない

私は母親にすぐこられないのか

と詰られ

真夜中、家で煩悶していた

朝の始発電車でいくつもりが始発の次の

列車で向かった

電車を乗り継ぎ

最寄りの駅に着く

それも無人駅である

迎えにきてくれた妹で

病院に向かう

看病すること

約3時間

父は亡くなる

死因 肺がん、肝臓がん

死亡時刻 午前10時22分

享年71歳

そして通夜

通夜なのだが喪服がない

喪服を用意してこなかったではなく

喪服を所持していない、のである

貸衣装屋から借りるのだが

その衣装代すら所持していない

7000円ほどしかなく、ほかに1万円家にあるのだが

アルバイトとせどりで暮らし

5月8日から11日までのマーケット・プレイスの売り上げはすべて、約15000円の手数料にかわり

12日でようやく売上がたち、その週の金曜日にそれでも6573円だけである

全財産17000円で所持金7000円だけの状況で衣装代などない

衣装代はなんとか借りる葬儀会館の料金代込みになり

なんとかよかったが

ワイシャツ、革靴がない

妹に借りたのである

母親からは情けない、恥ずかしいと詰られる一方で

反論はしようがないのだが

腹がたつ

私はそのような

名ばかり喪主である