火葬場で焼かれて骨だけになってしまった父を
思い出すと
輪廻などという「思想」が
火葬という「効率的な」死体処理方法により
保てなくなるのを
妹の旦那が運転する車に乗せられて
父の遺骨を抱いているときに
思いついた
むかしは
この地域は土葬だったのか
だが
現在は火葬である
先祖の霊が
前世が
と言われても
骨だけになってしまったのでは
説得力をもちえない
それとも
映画「復讐するべきは我にあり」の
ラストシーンのように
骨も意志があり
動くのだろうか
そんなことをつらつら思っていると
死んだ人間を自分の栄養補給のために
食べる、というのは
火葬に比べて
死者の魂を悼むには
はるかにすぐれているように思えてきた
死者を食し
故人の魂を共有するのである
ということは
自分も飢餓によって死んでしまうことを
防ぐために
死んだ同僚を食べた
日本兵は裁かれるのか
そして
その死者を食べるというスキャンダラスな行為は
従軍慰安婦より罪が重いのか
そんなことを考えている私は
世間から
悪魔と罵られるのだろうか
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