2013年5月20日月曜日

骨になる

火葬室で焼かれること約1時間半

火葬室からでてきた亡き父は

こなごなになった骨だけになっていた

その骨を凝視する火葬場の作業員

みつけては

トレイに乗せ

みつけては

トレイに乗せ

その繰り返しである

その繰り返しを

彼は自分の糧を得るための

仕事として毎日行っている

私であればできるだろうか

亡き父が焼かれる合間

待合室で

叔父、叔母、母が

そういえば、むかしは土葬だったねえ、と会話を交わしている

土葬だったのか

叔父が

土葬はいかん、と市が言い出し

火葬になったんだよ、と土葬から火葬への経緯を説明する

なぜ、土葬はいかんのだろうか

ゆっくり朽ち果てていく死体から

腐臭が土から出てくるからだろうか

と想像できるが

確かなことは言えない

だが

土葬は

微生物や生物が

人間を食べ、分解していくので

まさに

人間が自然に還る儀式でないだろうか

葬式で読経をあげた

僧侶が法然の言葉で言った

ちなみに私の家系が浄土宗の檀家に属しているのもこの葬式で初めて知った

檀家一党はすべて同じ姓である

死ぬことは涅槃にいくから幸福だ、ということではないのか

そういう風には言ってないが

概ねそんな意味である

南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏







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